舞台『フィクション』を見て

先日ネットの配信で演劇を見ました。

知己が出演している舞台、という割とわかりやすい理由で、しかも現場ではなく配信で、という、いささか不純とも言える状況で見たのですが、これがまた非常に面白くて、なかなか得難い経験でもあったので、アウトプットがてら感想をまとめてみました。普段映画とかアニメの感想ばっかなので、用語・言い回し等乱文失礼。

【観劇三昧LIVE】
16号室「フィクション」
配信日:2022/08/06 19:00
以下の文章は、あらすじや前情報+α程度の内容でストーリーそのもののネタバレは無い方向ですが、構成や演出などには触れていますので、ネタバレ完全回避したい方はご注意ください。

ということで演劇『フィクション』です。

チェーホフの「かもめ」を演じる演劇の話でして、稽古場から始まるこの物語は「演じられる演目」と「それを演じる役者」という二重の舞台構造があるような、そんな展開から始まります。

稽古場から出たところで役者が「素に戻る」というか、日常生活に戻るわけですが、その日常がなんとも居心地悪いというか、微妙にツラいシチュエーションでして、(個人的にはちょっと苦手に思いつつも)その生活感の生々しさは、キャラクターの存在感を強めつつ、演じる/演じられる演目や稽古場とのギャップが感じられる導入でした。
シーンの合間に、問いかけだったり、内心の吐露だったりと、「素に戻る」状況があって、そこでシチュエーションのレイヤーが一段階ズレるんですよね。急に来るとビックリするけれど、でもそこまで意外ではない、という程度の違和感なんですが。

そんなこんなしながら、稽古場とそれ以外の日常を行き来しながら物語は進んでいくわけです。

で、この舞台ちょっと変わっているのが「演じられているキャラクターの名前」と「それを演じている演者と同じ」なんですね。本名出演というかなんというか、ただ、知己一人以外の演者を初めて拝見する舞台だったので(大変失礼な話ではありますが)知己の名前以外は初めて聞く名前でして、あんまり違和感がないんですよね(知己の演者の名前が舞台で呼ばれたときはなぜかちょっとおかしみがありますね)。
そして話が進んでいくと「演じる役者がキャラクターから素に戻って話すシーン」というのがありまして……つまり「舞台/演者/演者を演じる演者」という3重構成になっていくわけで、この辺から実名演者ということが生きてくるわけです。まあこれも演出であり、演技であり台本です、という捉え方も勿論できるんですが……その「素の会話」の中で、知己の演者が問いかけられるシーンがあるんですよ「お前ならAかBかどっちだ」って感じに。で、その時に思ってしまったわけです「自分の知っているあの人(知己)であればAと答えるだろうなぁ」と、でもその瞬間、ふと「僕はあの人(知己)の何を知っているのだろうか、本当にわかっているのだろうか?」って思ってしまったんですよ。その瞬間に、自分が今見ているのがフィクションなのか、現実なのか、急にわからなくなってしまって、見ているこちらの足元がぐらつくような感覚に襲われてしまいました。

シチュエーションが多重構造になっている物語の例にもれず、この物語もお互いの構造がリンクしていく/混ざっていくのですが、それを見ている自分の立ち位置がまったくわからなくなってしまって、あとはもうグルグルと物語に翻弄されたまま、ラストシーンまで「気持ちを持ってかれたまま」舞台を見ていました。

「フィクションとそうでないもの」が少しづつズレていく、ズラされていく、という体験が非常に面白い作品でした。過分に個人的にな体験であることは確かなのですが、何が本当かわからなくなるような感覚は確かにあって、見終わってから思い返しても、この「ズレていく」演出や構成が非常によくできていると思いました。

「女優という存在への憧れ」や、「演者/作り手であること」に対しても非常に感じ入る舞台ではあったんですが、ストーリーに触れずにその辺を語るには(僕には)ちょっと難しいのでこの辺で。

僕は舞台関係には関わったことがないので「演劇の稽古場」というシチュエーションを実際に体験したことは無いのですが「理詰めで演出をつける演出家」を見て「理詰めで演出をつける演出家だ!」ってあれほど生々しく感じたのは初めてでした。「すごい本物っぽい!」って思いました(いや実際そうなんでしょうけども)。

 

【観劇三昧LIVE】
16号室「フィクション」
配信日:2022/08/06 19:00